映画とドラマとロケ地

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42

42~世界を変えた男~ (吹替版)

 

Wikipediaよりあらすじ抜粋

1947年、ブルックリン・ドジャースロサンゼルス・ドジャースの前身)のゼネラルマネージャー・ブランチ・リッキーは、ニグロリーグでプレーしていたアフリカ系アメリカ人ジャッキー・ロビンソンを見出し、彼をチームに迎え入れる事を決める。

だが、当時はまだ黒人差別が激しく、メジャーリーグも白人だけのものだった事から、彼の入団は球団内外に大きな波紋を巻き起こす。

案の定、ロビンソンは他球団はもとより、味方であるはずのチームメイトやファンからも差別を受けてしまい、孤独な闘いを強いられる。

 

以下ねたばれあり

 

 

有色人種排除の方針が確立されていたMLBで、アフリカ系アメリカ人選手と

してデビュー。

有色人種のメジャーリーグ参加の道を開いた偉大なるメジャーリーガー。

ロビンソンのメジャーデビュー50年目にあたる1997年4月15日、

ロビンソンの背番号42が全球団共通の永久欠番となり

4月15日のロビンソン・デーでは、

メジャーリーグ全ての選手、コーチ、監督、審判が42番のユニフォームを

着て試合に出場する。

 

 

 


 

野茂投手がドジャース入りしてから、日本のプロ野球選手もようやく

メジャーリーグで活躍出来るようになった。

改めて、何故ドジャーズだったのか、そしてその後の彼の大活躍を思い出し、

こじつけかもしれないが、全ての出来事にやはり“意味”があるだと感じた。

 

 

 


 

映画では、主役のジャッキー・ロビンソンはもとより

ハリソン・フォードの演じたブランチ・リッキーが素晴らしい。

あまりに似すぎてビックリ。ハリソン・フォードを消して、

ブランチ・リッキーそのものになっていた。

ジャッキーの奥さんレイチェル・ロビンソンの存在の大きさも感じられ、

良いストーリーだったと思う。

夫の死後、非営利財団「ジャッキー・ロビンソン財団」を創設。

 


 

映画に登場するもう一人の偉大なメジャーリーガー、ピー・ウィー・リース。

 

有名な逸話:

ロビンソンの入団前に他の所属選手から出ていた入団拒否の嘆願書への署名を拒否。

1947年にロビンソンの入団時、リースはチームメイトの前で真っ先にロビンソンと

握手。

遠征先の球場でロビンソンが誹謗中傷を受けていると、リースは守備時に

ロビンソンと黙って肩を組みアピール。

後日、ジャッキー・ロビンソンは、「彼は何度も自分を助けてくれたが、

彼はそのことを自分の手柄にしようとはしなかった。」と語っていた。

 

 

 

背番号『1』は、ドジャース永久欠番になっています。

 

Teammates  

 


 

海外ドラマクレージーワンにも出演していたHamish Linklater が演じた、

ラルフ・ブランカも心に残りました。

なんと、娘婿はあのボビー・バレンタイン

 


 

 

It was the game...

The sounds, the smells.

Did you ever hold a ball or a glove to your face?

(映画「フィールド・オブ・ドリームス」のシューレスジョーの言葉)

 

 

 

Take me out to the ball game,

Take me out with the crowd;

Buy me some peanuts and Cracker Jack,

I don't care if I never get back.

Let me root, root, root for the home team,

If they don't win, it's a shame.

For it's one, two, three strikes, you're out,

At the old ball game.

 

さあ、今日は日本シリーズ

我らの背番号1番のショートも活躍してくれるかな?