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コリーニ事件 Der Fall Collini The Collini Case (2019)

コリーニ事件(字幕版)

WOWOW公式よりあらすじ抜粋

トルコ人を母親に持つ新人弁護士ライネンは、殺人事件の容疑者コリーニの国選弁護人を引き受けるが、なんとコリーニが拳銃で射殺した大物実業家ハンスはライネンにとって、少年時代からの恩人だった。ライネンはコリーニと面会するが、なぜかコリーニは動機について一切語ろうとしなかった。果たしてマイヤーとイタリア人コリーニにどんな関係があるのか。法廷でもコリーニに不利な状況が続き、ライネンは頭を抱えてしまうが……。

 

以下ネタバレあり

 

 

El caso Collini/ The Collini Case

原作は、ドイツの著名な刑事事件弁護士でもあるフェルディナント・フォン

・シーラッハの同名小説。

 

 

【映画ロケーション】

 

 
 
 
 
 
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裁判所のシーン:ベルリン刑事裁判所

あの美しい階段が、動画の前半でちらっと映っています。0:43あたりです。

撮影は休日、もしくは、裁判所が開く前の朝6時~8時に撮影されていたようです。

詳細はこちらのサイトで。(ドイツ語)

 

自動車の追突事故のシーン

:ドイツ・ウッカーマルク郡 Mellenauの交差点で撮影されていたという。

関連記事はこちら。(ドイツ語)

 

 

 

(ねたばれあらすじ)

 

ハンス・マイヤー殺害事件

被害者:ハンス・マイヤー ドイツの大物実業家

被告人:ファブリツィオ・コリーニ イタリア人

現場 :ベルリンのホテルのスイートルーム

    銃で撃たれ、殺害後、さらに顔を踏みつけられる。

    犯人は、ホテルのロビーで自首。

 

裁判開始

被告人:ファブリツィオ・コリーニ

弁護士:カスパー・ライネン(新人弁護士) 国選弁護人に (母:トルコ人

    ※被害者は、弁護士の少年時代からの恩人。

被害者側代表:リヒャルト・マッティンガー 弁護士・元大学教授

ライネン弁護士は、被害者の孫娘ヨハナ・マイヤーと親しい関係のため

辞任しようとするが、恩師のリヒャルト・マッティンガーに弁護を続けるよう

助言される。

 

黙秘を続ける被告

被告人のコリーニは、黙秘を続けるため、弁護は絶望的だった。

マッティンガーは、ライネンに、裁判を(早く)終わらせるために自白させるよう

助言してきた。

しかし、ライネンは、コリーニが沈黙する理由、殺害理由を求め、彼の故郷である

イタリアのモンテカチーニへ向かう。

 

イタリア・モンテカチーニ

ライネンは、偶然出会ったピザ店でアルバイトをする女子大生に通訳を頼み

コリーニの故郷である、イタリア・モンテカチーニへ向かう。

コリーニの知人である、クラウディオ・ルケージ氏から話を聞くことに。

1944年6月19日の出来事について話を聞き、ショックを受ける。

 

取引

ライネンが、コリーニとハンス・マイヤーの過去を知ったことに気づいた

マッティンガーは、ライネンに取引を持ち掛けてくる。

真実を明らかにしないまま裁判をおわらせれば、次回、銀行の裁判の弁護を

担当させると言い、報酬1日2500マルク(1マルク66円として1日165,000円!)、

裁判は100日以上続く(1日165,000円⇒1650万円!)と持ち掛けてくる。

ライネンは呆れ「私が筋書き通りに演じないのが怖いのですか?」と返し

二人は決別する。

被害者の孫娘ヨハナ・マイヤーも、ライネンに弁護を止めるよう説得するが

ライネンに断られ、「祖父の助けがなかったら、今頃ケバブ店の店員よ。」と

暴言を吐き、立ち去っていく。

 

弁護側の証人

・K・シュヴァン博士(歴史家)連邦文書館勤務

 被害者ハンス・マイヤーの第二次世界大戦当時について証言。

 1943年~1945年 武装親衛隊の将校(=ナチス 所属部隊はイタリアに

・クラウディオ・ルケージ氏 (モンテカチーニ在住 翻訳家)

 父:アルベルト・ルケージ

   戦後、ナチスに協力した罪(通訳)で有罪となり1945年に処刑される。

   ハンス・マイヤーに雇われ、ナチスの通訳をしていた。

 1944年夏、ピサのカフェでパルチザンのテロが起こり、ドイツ兵が2人死亡。

 ハンス・マイヤーは、10倍報復すると言い、部隊はモンテカチーニへ。

 村人たちを広場に集めている時、子供だったファブリツィオ・コリーニが

 マイヤーの部下に捕まるが、マイヤーは部下を叱り、コリーニに父親はどこだと

 聞き、マイヤーの指示で急遽彼の父親が、彼の目の前で殺されてしまう。

 殺害されたのはドイツ兵の被害者2人の10倍、罪なき村人20人だった。

 

1968年刑事告訴

弁護士・リヒャルト・マッティンガー

  1968年 コリーニと姉がマイヤー氏を告発

  検察:捜査を停止 マイヤー氏は戦争犯罪は問えないと判断。

  =マイヤー氏は無罪 コリーニは無罪の人を殺したと説明。

ファブリツィオ・コリーニ

  30年前、検察に捜査を停止され、姉に今後は何もしないと誓わされる。

  その姉が、2か月前に亡くなり、殺害を実行した。

  コリーニの姉は、30年間苦しんだと話す。

  何故、マイヤーは起訴されなかった?どんな法律が奴の味方をしたのか?」

 

証人:リヒャルト・マッティンガー

1968年 弁護士資格取得

1969年 コリーニと姉は、母親が亡くなった後、マイヤー氏を告発⇒不起訴

不起訴原因=1968年後半に試行された法律

      モンテカチーニ虐殺の25年後 コリーニ姉弟の告発の4か月前

      「秩序違反法に関する施工法」

      起草者:ドレーアー博士(ナチ時代 特別法廷の筆頭検事)=元ナチ

      戦争当時の行為は時効になり訴追出来ないという法律。

      マッテンガイヤーも法案に名を連ねていた。

ライネン弁護士は、マッティンガーにマイヤーへ不起訴は妥当だったか?と尋ね

マッテンガイヤーは、裁判官や検察官らに見つめられる中、「もちろん違う」と

答えるしかなかった。

そして、現代であればマイヤー氏は有罪であったとマッティンガーに認めさせる。

 

判決

マッティンガーから、マイヤー氏が有罪だと認めさせたことに感謝をする

コリーニ。

翌日の法廷で裁判官から、昨晩コリーニ氏が自殺したと説明があり、

訴訟手続きを停止し、費用は国庫が負担することになり、審理終了となる。

ライネン弁護士の事務所に、裁判所から手紙が届く。

中には、コリーニ氏が残した彼と父との写真が同封されていた。

ライネンは、コリーニ氏の葬儀のため、モンテカチーニへ。

葬儀が終わった後、彼は、少年姿のコリーニと彼の父の幻を見る。

~おわり~

 

 

原作は、Verjährungsskandal (1968)からヒントを得て書かれた作品だと言われている。

Verjährungsskandal (1968):Wikipedia ドイツ語

原作者のフェルディナント・フォン・シーラッハの父親は、ドイツ労働者党(ナチ党)

の全国青少年指導者(ヒトラーユーゲント指導者)だった、

バルドゥール・フォン・シーラッハ