トルコ人を母親に持つ新人弁護士ライネンは、殺人事件の容疑者コリーニの国選弁護人を引き受けるが、なんとコリーニが拳銃で射殺した大物実業家ハンスはライネンにとって、少年時代からの恩人だった。ライネンはコリーニと面会するが、なぜかコリーニは動機について一切語ろうとしなかった。果たしてマイヤーとイタリア人コリーニにどんな関係があるのか。法廷でもコリーニに不利な状況が続き、ライネンは頭を抱えてしまうが……。
以下ネタバレあり
原作は、ドイツの著名な刑事事件弁護士でもあるフェルディナント・フォン
・シーラッハの同名小説。
【映画ロケーション】
裁判所のシーン:ベルリン刑事裁判所
あの美しい階段が、動画の前半でちらっと映っています。0:43あたりです。
撮影は休日、もしくは、裁判所が開く前の朝6時~8時に撮影されていたようです。
詳細はこちらのサイトで。(ドイツ語)
自動車の追突事故のシーン
:ドイツ・ウッカーマルク郡 Mellenauの交差点で撮影されていたという。
関連記事はこちら。(ドイツ語)
(ねたばれあらすじ)
ハンス・マイヤー殺害事件
被害者:ハンス・マイヤー ドイツの大物実業家
被告人:ファブリツィオ・コリーニ イタリア人
現場 :ベルリンのホテルのスイートルーム
銃で撃たれ、殺害後、さらに顔を踏みつけられる。
犯人は、ホテルのロビーで自首。
裁判開始
被告人:ファブリツィオ・コリーニ
弁護士:カスパー・ライネン(新人弁護士) 国選弁護人に (母:トルコ人)
※被害者は、弁護士の少年時代からの恩人。
被害者側代表:リヒャルト・マッティンガー 弁護士・元大学教授
ライネン弁護士は、被害者の孫娘ヨハナ・マイヤーと親しい関係のため
辞任しようとするが、恩師のリヒャルト・マッティンガーに弁護を続けるよう
助言される。
黙秘を続ける被告
被告人のコリーニは、黙秘を続けるため、弁護は絶望的だった。
マッティンガーは、ライネンに、裁判を(早く)終わらせるために自白させるよう
助言してきた。
しかし、ライネンは、コリーニが沈黙する理由、殺害理由を求め、彼の故郷である
イタリアのモンテカチーニへ向かう。
イタリア・モンテカチーニ
ライネンは、偶然出会ったピザ店でアルバイトをする女子大生に通訳を頼み
コリーニの故郷である、イタリア・モンテカチーニへ向かう。
コリーニの知人である、クラウディオ・ルケージ氏から話を聞くことに。
1944年6月19日の出来事について話を聞き、ショックを受ける。
取引
ライネンが、コリーニとハンス・マイヤーの過去を知ったことに気づいた
マッティンガーは、ライネンに取引を持ち掛けてくる。
真実を明らかにしないまま裁判をおわらせれば、次回、銀行の裁判の弁護を
担当させると言い、報酬1日2500マルク(1マルク66円として1日165,000円!)、
裁判は100日以上続く(1日165,000円⇒1650万円!)と持ち掛けてくる。
ライネンは呆れ「私が筋書き通りに演じないのが怖いのですか?」と返し
二人は決別する。
被害者の孫娘ヨハナ・マイヤーも、ライネンに弁護を止めるよう説得するが
ライネンに断られ、「祖父の助けがなかったら、今頃ケバブ店の店員よ。」と
暴言を吐き、立ち去っていく。
弁護側の証人
・K・シュヴァン博士(歴史家)連邦文書館勤務
被害者ハンス・マイヤーの第二次世界大戦当時について証言。
1943年~1945年 武装親衛隊の将校(=ナチス) 所属部隊はイタリアに
・クラウディオ・ルケージ氏 (モンテカチーニ在住 翻訳家)
父:アルベルト・ルケージ
戦後、ナチスに協力した罪(通訳)で有罪となり1945年に処刑される。
ハンス・マイヤーに雇われ、ナチスの通訳をしていた。
1944年夏、ピサのカフェでパルチザンのテロが起こり、ドイツ兵が2人死亡。
ハンス・マイヤーは、10倍報復すると言い、部隊はモンテカチーニへ。
村人たちを広場に集めている時、子供だったファブリツィオ・コリーニが
マイヤーの部下に捕まるが、マイヤーは部下を叱り、コリーニに父親はどこだと
聞き、マイヤーの指示で急遽彼の父親が、彼の目の前で殺されてしまう。
殺害されたのはドイツ兵の被害者2人の10倍、罪なき村人20人だった。
1968年刑事告訴
弁護士・リヒャルト・マッティンガー
1968年 コリーニと姉がマイヤー氏を告発
検察:捜査を停止 マイヤー氏は戦争犯罪は問えないと判断。
=マイヤー氏は無罪 コリーニは無罪の人を殺したと説明。
ファブリツィオ・コリーニ
30年前、検察に捜査を停止され、姉に今後は何もしないと誓わされる。
その姉が、2か月前に亡くなり、殺害を実行した。
コリーニの姉は、30年間苦しんだと話す。
「何故、マイヤーは起訴されなかった?どんな法律が奴の味方をしたのか?」
証人:リヒャルト・マッティンガー
1968年 弁護士資格取得
1969年 コリーニと姉は、母親が亡くなった後、マイヤー氏を告発⇒不起訴
不起訴原因=1968年後半に試行された法律
モンテカチーニ虐殺の25年後 コリーニ姉弟の告発の4か月前
「秩序違反法に関する施工法」
起草者:ドレーアー博士(ナチ時代 特別法廷の筆頭検事)=元ナチ
戦争当時の行為は時効になり訴追出来ないという法律。
マッテンガイヤーも法案に名を連ねていた。
ライネン弁護士は、マッティンガーにマイヤーへ不起訴は妥当だったか?と尋ね
マッテンガイヤーは、裁判官や検察官らに見つめられる中、「もちろん違う」と
答えるしかなかった。
そして、現代であればマイヤー氏は有罪であったとマッティンガーに認めさせる。
判決
マッティンガーから、マイヤー氏が有罪だと認めさせたことに感謝をする
コリーニ。
翌日の法廷で裁判官から、昨晩コリーニ氏が自殺したと説明があり、
訴訟手続きを停止し、費用は国庫が負担することになり、審理終了となる。
ライネン弁護士の事務所に、裁判所から手紙が届く。
中には、コリーニ氏が残した彼と父との写真が同封されていた。
ライネンは、コリーニ氏の葬儀のため、モンテカチーニへ。
葬儀が終わった後、彼は、少年姿のコリーニと彼の父の幻を見る。
~おわり~
原作は、Verjährungsskandal (1968)からヒントを得て書かれた作品だと言われている。
(Verjährungsskandal (1968):Wikipedia ドイツ語)
原作者のフェルディナント・フォン・シーラッハの父親は、ドイツ労働者党(ナチ党)
の全国青少年指導者(ヒトラーユーゲント指導者)だった、